断絶の系統

Non Plus Ultra

近況報告

お久しぶりです。

 

最近こちらのほうにはご無沙汰しております。もうnoteのほうに軸足を移してしまったもので、こちらはどうしようかなと考えているところです。

 

半年ほど前にnoteに投稿していた有料記事「反出生主義の成立不可能性の検討」「安楽死と死のハードル」の2つを無料公開に切り替えています。ほかにもいろいろ投稿していますので、ぜひお読みください。

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note投稿のお知らせ

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 noteのほうに記事を投稿してみました。有料(300円)ですが、筆者が今反出生主義の理論面について考えていることを(長々と)まとめた内容になっています。反出生主義はどのような思想や前提の上に成り立っているのか、そしてそれが成立しない場合はあるのかについて書いています。興味のある方は読んでくださるとうれしいです。

スコティッシュフォールドと反出生主義

 先日ある有名なYouTuberが子猫を飼い始めて炎上しました。猫を飼うだけで炎上なんて……と思っていたら、彼が選んだ品種も炎上の一因だったようです。

 

 その品種はスコティッシュフォールド。品種の確立は20世紀末と比較的新しい品種ですが、「折れ耳」が可愛らしいと人気を博しています。しかし、この品種の最大の特徴である「折れ耳」、実は遺伝性の軟骨の異常によるものです。そしてこの軟骨の異常は耳だけでなく四肢などにも現れ、スコティッシュフォールドは活動を制限されたり痛みから不活発になったりすることが多いと言われています。

 

 そのため、一部の人たちはスコティッシュフォールドの品種としての健全性を批判してきました。「人間が求める可愛らしさのために、猫に苦痛を強いている」からです。英国ではこの品種の登録をとりやめた血統管理団体もあります。同様の批判や啓発が、先述の炎上のときにも見られました。

 

 

 この主張は一般化できるでしょうか?一般化すると、「遺伝的特性により子孫に苦痛を強いる可能性が高い生物は、子孫を残すべきではない」ということになります。スコティッシュフォールドの問題を懸念している人たちは、この主張を人間に当てはめた場合は猫と同様に同意するでしょうか?

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不労権

「不労権」とは、労働によらず生命・生活を維持する権利のことです*1

 

 皆さんは仕事が好きですか?まだ働いていない皆さんは就職が楽しみですか?好き、楽しみと答えられるならそれはよいことだと思います。しかし、本当は働きたくない、あるいは今の仕事よりもやりたいことがあるという人も多いと思います。

 

 現在の社会では、大人は働いて自分や家族の生活費を稼ぐことが求められています。現在の日本では労働をしなくても制度上生存は可能ですが、その場合は本人の思い通りの生活はできませんし、社会からも厳しい目を向けられるでしょう。つまり生存とまではいかなくとも、人間である以上求める「よりよい生活」を人質に労働を強いられている状況と言えます。社会の発展・分業化で自給自足をする必要はもはやないので、自分のやりたいことをして生活費を得たりさらに豊かになったりすることももちろん可能です。しかし一方で、働きたくなかったり、やりたいことを仕事にできなかったりする人にとっては、彼らも当然死にたくはないですし、よい生活を送りたいわけですから、不本意ながらも働かざるを得ません。そして、社会の維持のために必要な仕事には、多くの人が積極的にやりたいとは思わないようなものも多くあります。

 

 それに加え、社会では労働の成果が「公平に」分配されているかも疑わしいところがあります。労働の負担がそのまま賃金に反映されているわけではありません。能力や環境に恵まれた人にとっては高い報酬を受け取りつつ自己実現もできる一方、低い賃金できつい労働に従事しなければいけない人もいます。生まれたことによって懲役数十年(執行猶予付き)のような状況に陥ることもあるわけです。

 

 しかし、現在の社会はその構成員の労働によって維持されています。つまり、最初に述べた「不労権」をみんなが行使してしまうと、社会が回っていきません。日本国憲法でも「苦役からの解放」が明記される一方で「勤労の権利及び義務」も記されており、働ける人は働いてもらわないと困る、不公平だというのが実状です。そして、資本主義・自由主義社会である以上、労働負担・賃金の格差が発生してしまいます。「不労権」を全員が行使できるようになるには、人間の労働に頼らない社会システムが前提となります。

 

 

 では、現段階で「不労権」は意味のないものなのでしょうか?

*1:「不労権」はGoogle検索でヒットしませんでしたので、私が作った言葉のようです。「働かない権利」のページはWikipediaにありますが、障碍者の権利に関するもののようです。私がここで扱う「不労権」はすべての人間を対象としたものです。「生存権」を拡張したものとも言えるでしょう。

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不幸の再分配

 社会政策上「再分配」と言えば大抵は「富の再分配」のことを指します。富を持っているのは社会の(現代であれば資本主義の)「勝者」の側ですので、富の再分配は「上から」の再分配と言えます。しかし今回は「下から」の再分配構造―ここでは「不幸の再分配」と呼びます―について書いていきたいと思います。

 

「不幸の再分配」とは、何らかの欲求が満たされない個人や集団が、不満を解消するために反社会的な手段をとり、それによって社会が悪影響を受けることです(「不幸の再分配」自体Googleではヒットしなかったのでこれは私なりの定義です)。富というと金銭的・物質的なもののイメージがありますが、人間の求めるものはそれらだけではありません。人間的なつながり、社会的な居場所などもあるでしょう。それらの「豊かさ」が満足に与えられなかった、さらには分配のされ方が不公平だと感じた場合、合法的にまた社会的に望ましい方法で解決が図られれば何の問題もないのですが、非合法な手段を取ったり攻撃性を帯びたりすることもあります。後者の場合、ベクトルが外に向いてしまうと犯罪となり、内側に向くと精神的な病や自殺につながります。

 

 なぜこれが「再分配」構造かというと、ある個人の「不幸」は多くの人が快適に暮らすために社会から押し付けられた面も大きいと考えるからです。例えば、働くのが苦手だが盗みは得意という人は盗みの禁じられた社会ではあまり良い収入は得られないかもしれませんし、暴力より頭脳に優れているほうが社会的地位は得られやすいでしょう。また、誰と交流するか、誰と家庭を築くかが個人の自由とされているなら、他人に好かれないような容姿や性格、挙動の人は、人間的つながりを満足には築けないと思われます。あるいは、抱えている欲求が社会的に容認されている人とそうでない人では同じ社会にいる限り満足の度合いは異なるものとなります。

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世界の共有?

 前回の記事では「別の世界」とVRの可能性について書きました。そのような「別の世界」についてもう少し考えたいと思います。

 

 現在に至るまで私たちは世界を共有しています。言い換えれば、他人には「中身」がある前提で暮らしています(証明可能かはともかく)。これはインターネットの世界にも引き継がれ、SNS掲示板等の交流サイト、あるいは最近のVRChatもWeb上の場を共有する仕組みになっています。

 

 人が複数いるところには当然様々な「反応」が起こります。しかしそれらがすべて望ましいものというわけではありません。友情が育まれる一方で争いも生じます。集団どうしが対立するようになると最終的には戦争になります。地球上から争いがなくならないのは端的に言えば「地球に人が2人以上いるから」ということになります。

 

 もちろん争ってばかりもいられないので秩序が作られます。自分の行動を制限する代わりに相手の行動も制限することで、安全や利益が確保できます。ただし、すべての行動や権利を制限するわけではありません。集団が維持できる範囲での自由は認められます。例えば事業や労働で利益を得たり、交流する人を選んだりすることができます。また国により程度の差はありますが思想や信条、宗教などの内面の自由も認められています。そのような自由まで制限してしまうとむしろ社会が維持できないでしょう。

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