断絶の系統

Non Plus Ultra

はじめに

 はじめまして、ちよさきと申します。このたびブログを始めることにしました。よろしくお願いします。

 

 このブログでは、「反出生主義」の実現可能性について考えたことをメインに書いていきたいと思います。

 

「反出生主義」とは何かご存知でしょうか。簡単に言えば、人類は(あるいは生物は)生まれないほうがよい、という思想です。人生には様々な苦しみが伴います。人によって歩む人生は様々ですが、全く苦しみのない人生を送れた人はいないでしょう。人生は苦しみだけではないとはいえ、苦しみの伴う人生は「よくない」もので、さらに誕生前にそのような経験をさせることについて本人から同意を得る手段はなく、それゆえ子供を産むこと自体をやめるべきである、と反出生主義では考えられています。

 

 反出生主義とまでは行かなくても「生まれないほうがよかった」という考えは古今東西人生に不満を持つ多くの人々の頭に浮かんだことでしょう。反出生主義自体も新しいものではなく、哲学者としてはショーペンハウアー(1788-1860)が有名ですが、古代ギリシアにも同様の考えがあり、仏陀の教えをそう解釈する人もいるようです。最近では日本でも翻訳された『生まれてこないほうが良かった (Better Never to Have Been)』の著者であるデイヴィット・ベネターが有名な論者です。私自身も「反出生主義」という言葉を知る前にそれに近い考えは頭の中にありましたし、おそらく反出生主義的な考え自体は難しいものではないと思います。

 

 それでは反出生主義は正しいのでしょうか?私には反論が思いつかなかったのでインターネット等で検索してみたのですが、有効だと思える反論を見つけることはできませんでした。もちろんネットでちょっと漁って反論がないのだから正しいというつもりはありませんが、今のところ反出生主義を打ち負かす理論は出現していないのかなという印象です。反出生主義の考え方や理論自体については書籍あるいはネット上で書かれている方も多くいるのでこのブログではあまり扱わないつもりですが、反論は探していきたいと思います。もし反出生主義が見事に論破されれば、それは人類にとって祝福でしょうし、その時にはこのブログもおしまいになります。

 

 そんな「正しい」反出生主義ですが、そのような考えを持つ人は少数派です。世界の人口は増え続けていますし、日本など少子化が問題になっている国でもその主な原因は反出生主義の普及ではないように思われます。また、反出生主義に論理的に反論することが難しいからといって、反出生主義が社会の主流派になるといった気配もありません。

 

 その理由は明らかで、私たちが「反出生主義をとらなかった系統」の中にいるからです。反出生主義者には基本的に子供がいないので、(反出生主義自体が遺伝するわけではないですが)反出生主義を正しいと考えるような系統は断絶します。また、人口の再生産が社会維持の前提となってきた以上、反出生主義が主流になった集団というのも衰微、断絶する運命にあります。まさに生存バイアスで、反出生主義をとらないどころか、どんな苦しい状況にあっても子孫を残すことを第一とした人々の子孫が私たちということになります。また、既に「親」になっている人にとって反出生主義は自分の行為を否定する思想であり、多くの人にとって受け入れがたい考えであることも事実です。

 

 そのようなわけで、反出生主義がいかに「正しい」としても、反出生主義の正しさをいくら説明したところで全ての人類が子孫を残すことを止めるとは思えません。それが可能なら既に人類は絶滅しているでしょう。やはり反出生主義は実現不可能なのでしょうか?

 

 しかし現実に多くの国で少子化は進んでいます。そのような国で反出生主義が主流になっているわけではないにもかかわらず、それらの国々の出生率は人口置換水準を下回っており、人口減少が予測されています。つまり、子孫を残す、増やすことを何よりも優先してきた系統の子孫でも、ある環境下では反出生主義とは関係なく産む子供の数を控えるか一人も産まないことを選択する、あるいは適切な人口再生産がそもそも不可能な社会を構築してしまうことがあり、また現代ではそのような社会が少なくともある程度の期間は維持されうるということです。

 

 少子化が反出生主義の結果でないとするならば、それは社会に人々の子孫を多く残したいという欲求を打ち消す何らかの「少子化システム」が構築されているということになります。それゆえ反出生主義の目指す「将来的な人口ゼロ」が実現可能ならば、それは「啓蒙」ではなく「システム」によってもたらされると考えます。そしてその「システム」はきっと反出生主義の顔をしていないでしょう。

 

 人口ゼロを目指すならばおそらく「地球はかいばくだん」が最速でしょうが、反出生主義は苦しみを悪とする考え方ですのでその解決法は相容れません。既に生まれている人類への悪影響を最低限に抑えつつ、新たに人類が生まれて苦痛を味わうことのないようにする、いわば「人類の平和的断絶」の実現可能性がこのブログのテーマです。

 

 このように書いてしまうと反出生主義が正しいことが前提となっているように聞こえるかもしれませんが、私自身は反出生主義が絶対に正しいという姿勢は取りたくないと思っています。反出生主義が否定されればそれが一番よいでしょう。しかし、「人類の平和的断絶」を可能にするシステムというのはすなわち人口の再生産に頼らず社会を維持するシステムですので、反出生主義の正しさにかかわらず、特に少子化が問題になっているような国々にとっては、そのようなシステムの構築を考えることは有益であると思います。

 

 と、ここまでこのブログの目指すところについて書いてきましたが、私はここで扱うことになる諸分野に関して専門的に学んだわけではないので、素人の思考日記でしかありません。適宜修正を必要としますし、車輪の再発明すらできない可能性が高いです。ただ、自分が何を考えたか記録しておきたいと思って、ブログを始めることとしました。

 

 そういうわけですので、最初に「反出生主義の実現可能性」と書きましたが、同時に「人口再生産に頼らない社会システム」へ向かう試みでもあります。反出生主義の立場の個人がどうやってよりよく生きるかという話ではありません(それは私が読みたいです)。よりよく生きることやそのための方法論を反出生主義は(子供を産むことは除いて)否定しませんし、私としても反出生主義にたどり着いた人もよりよく生きられるといいと思っています。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。この原稿を書くのにかかった時間を考えると、更新は不定期になると思います。