断絶の系統

Non Plus Ultra

少子化システム

 今回は現在日本で進んでいる「少子化」の原因を考察し、それをもとに「将来的な人口ゼロ」を目指す反出生主義を実現するための社会構造を検討します。

 

 現在日本では少子化が問題とされています。1970年代、第2次ベビーブームの終わるころに合計特殊出生率は人口置換水準を下回り、その後も低下を続け2005年に1.26を記録するまでになりました。その後は微増傾向ですが、2016年は1.44と依然人口置換水準まで回復する気配は見えません。このままでは人口減少や世代間の人口バランスの偏りにより様々な問題が起こると懸念されています。

 

 では少子化は「反出生主義」と呼ばれるような考えにより引き起こされたものでしょうか。そうではないでしょう。少子化自体は子供の死亡率低下によって自然と起こることです。それに現代でも多くの人は結婚して子供を持ちたいと思っているようです。また、結婚しない、子供を作らないという生き方を(積極的に)選択する人たちも、自らのライフスタイルの優先や経済的な問題などを理由としており、必ずしも反出生主義の立場ではないようです。 

 

 人間も生物なので本来ならば、少なくとも人口が維持できる程度の出生率が保たれるはずです。そして子供を産むことは一般的に善であり喜ばしいこととされています。それでも少子化が進行してしまうというのは、生物として自然に行うはずの個体数の再生産を抑える「システム」が社会に構築されていると考えられます。今回はそのような「少子化システム」の要素のうち、日本において代表的な3つを取り上げます。

 

 

 1つ目は未婚化・晩婚化です。日本では婚外子の数は外国に比べ極端に少ない傾向があります。つまり結婚が出産の前提となっているということです。しかし、近年は未婚化、晩婚化が進んでおり、結果として子供を持たない(持てない)、あるいは年齢的にも1人だけという人たちが増加してしまいます。

 

 未婚化・晩婚化の理由としては結婚に至るまでの過程の変化が挙げられます。日本ではお見合いと呼ばれる習慣があり、恋愛を経なくても結婚が可能でした。あるいは結婚が求められていたとも言えます。しかし近年は恋愛結婚が主流になりお見合い結婚は減少しています。そうすると相手を探すのに時間がかかる、さらには相手を見つけられなかったことでそのまま結婚できないといった人たちが増えます。

 

 また、結婚より優先するものがあるために結婚をしない、遅らせるという選択をする人もいます。出産をするのは女性なので、女性の社会進出が進み、仕事を優先して結婚(出産)をしない、あるいは結婚(出産)を遅らせるというパターンが増加すると生まれる子供は減ることになります。また、大学進学率の上昇も晩婚化に寄与しているかもしれません。

 

 2つ目は経済的な問題です。子供を産み育てるのにはお金がかかります。しかも、近年は高学歴化や核家族化・共働きに伴う育児のアウトソーシングが進み、子供を育てるのにかかる費用は増加傾向にあります。また、収入が少なく改善も見込めない場合は子供の数を控えたり子供を持たない選択をせざるをえなかったりするでしょう。そもそも結婚ができないかもしれません。景気が悪い、もしくは改善傾向と言われながらも実感に乏しいとなれば、そのようなケースは増えます。

 

 3つ目は価値観の多様化です。結婚・出産に関する社会的圧力の低下とも言えるでしょう。結婚・出産が当たり前だった時代は過去のものになりつつあり、どのような人生を歩むかは本人に任せるのがよいとされています。そのため、結婚しない、子供を持たないという選択を本人や夫婦がするとしても、それが尊重されるようになっています。またフェミニズムが女性の性的役割からの解放や自己決定権を唱え、女性の選択の自由を後押しした側面もあるでしょう。

 

 

 以上の3つは互いに重なる部分もありますが、これらをもとにどのような社会なら反出生主義の目指す「将来的な人口ゼロ」に近づくかを考えると次のようになります。

 

① 結婚する男女の数を減らす、結婚時期を遅くする

② 経済的な余裕を与えない

③「結婚し子育てする」以外の生き方を豊富に提供する

 

 婚前交渉の規制も同時に行うと婚外子の誕生を防ぐことができます。当然この逆の社会を作れば少子化は解消に向かうでしょう(少子化対策としては他にも婚外子増加や人工子宮などの方法も考えられますが、それらにも問題はあります)。

 

しかし人口再生産に頼らずに社会を維持するシステムが仮に構築されたとしても、以上の①~③のような社会が幸せかはまた別の話です。まず結婚したい、パートナーを見つけたい、家族を持ちたいという欲求が満たされません。また経済的な不満も当然よくないものでしょう。③に関しては自由な生き方が選べる、性的役割から解放されるといった恩恵を受ける人もいるかもしれませんが、他方で「何者にもなれない」、つまり役割が与えられないことに不安を覚える人もいるかもしれません。子孫を残すことに関心を向けそれを喜びとする系統が残りやすかったと思われるので、それを失うことが多くの人にとっては幸福を失うこととつながってくるような気がします。

 

 

 こう見ると、上記のような「少子化システム」社会はそこに暮らす人間の多くにとってよいものではないようです。反出生主義は既に生きている人類に苦痛を与えることをよしとしませんし、そもそもこういう社会政策は国民の支持を得られず実施・継続できないでしょう。

 

ここに反出生主義のジレンマが発生します。つまり、苦痛を悪として反出生主義をとったのに、それを実現しようとすると既に生きている人類に苦痛を与えてしまうわけです。これは「啓蒙」でも「システム」でも起こることです。これから生まれる人類のほうが今生きている人類よりずっと多いのだから、今生きている人類の苦痛は「必要な犠牲」だとする考え方もあるかもしれませんが、それを今生きている人類が支持するとは思えません。

 

 結論として、現在の「少子化システム」の強化により出生率の急激な低下を目指すのは、社会の支持を得られず難しいだろうということになりました。そもそも反出生主義自体が受け入れられにくいものなので、さらに生活に不満を抱かせるとなれば実現は不可能です。「システム」による反出生主義を目指すならば、既に生まれている人々の希望を反映した社会を作りつつ、結果として出生率ゼロに「なってしまう」のが一番スムーズだと思われます。つまり、子孫を残したいという人間の自然な欲求を代替するような魅力を提示する、あるいは「子供を産んでも子供が生まれない」仕組みを作るということになります。それが実現可能かは次回書きたいと思います。

 

 

最後に、ここまで「少子化システム」が人々にとってよいものではない、という話をしてきましたが、それなら少子化自体なぜ解消されないのかが疑問です。人口抑制どころか人口減少が懸念されている現在にあっても少子化が解消されないというのは、経済など個人ではどうしようもない問題もありますが、何か別のものを望んだ結果少子化が起こってしまっていると考えるのが自然でしょう。

 

 ここで先ほどの出生率抑制システムを逆にした「子供が増える社会」を書き出すと、

① 結婚する男女の数を増やす、早期に結婚させる

② 経済的な余裕を与える

③「結婚し子供を育てる」をライフスタイルとして推す

となります。①に関してはお見合い婚の復活が考えられますが、自由恋愛が称揚される中ではたしてどれほど受け入れられるでしょうか。③にも関係しますが、望まない相手との、あるいは望まないタイミングでの結婚が、本人が圧力を感じるような形で進められることも考えられますし、自由や男女平等との相性はよくないでしょう。また、先に挙げた婚外子増加も実質的一夫多妻制のようになると「あぶれた」男性は社会の維持に非協力的になりかねませんし、人工子宮も技術的・倫理的問題があります。

 

 このように少子化の対策のほうも難しい状況が見えます。社会の反感を買わないようにするとなると、景気全体の回復や、子育て支援、仕事・ライフスタイルと出産・育児との両立といった方向になるのでしょう。